今はまだ、

教員5年目/Twitter(https://mobile.twitter.com/ikedamis0n0)

言葉にしないと忘れちゃうので。

 

物心がついた時にはもうすでに、「自分以外の誰か」になりたかったし、「ここではないどこか」へ行きたかった。

 


小学校3年生の時、初めていじめにあった。

同じクラスの男子数人からだった。

一挙手一投足をあげつらわれて、笑われた。

死にたい、と毎日思った。

素の自分を晒け出すことの危険性を初めて認識したのが、多分あの時だった。


中学校では、「勉強ができる」というキャラを守るのに必死だった。

中1になって初めてのテストで学年1位を取った時、周囲の目がガラリと変わった。

みんなから一目置かれる存在になったのが、単純に嬉しかった。

「自分以外の誰か」 になれる気がして、「ここではないどこか」へ行ける気がして、地元で一番の進学校を受験し、合格した。


そうして入学した高校では、3年間をほぼ黙って過ごした。

いい意味でも悪い意味でも、他人に興味のない人間の集まりだった。

黙って本を読んでいようと、机に突っ伏して寝ていようと、誰も何も言わなかった。

それが希望でもあり、絶望でもあった。

ある日、現代文の授業中、50代なかばぐらいの男の先生がぽつりと言った。

「変わりたいって気持ちは、自殺と似てますからね。」

平易な言葉で本質をつく、そんな大人に初めて出会った。それだけで、この高校に入った意味があると感じた。


高3のセンター試験間際に、父が脳出血で倒れた。

一命は取り留めたが、後遺症が残るだろうと言われた。

学校で行われる奨学金の説明会に滑り込んだ。

国立大学の授業料を賄える金額の奨学金を申し込むことにした。

その申込書類に判をつきながら、母がごめん、と言った。

謝られなくても、志望校を地元国立大学の教育学部に変更したのは自分の意志だったのに。


そうして入った大学では、授業よりもバイトに精を出して過ごした。

この世で一番価値のあるものはお金だと思い込んでいた。

教育学部の、とりわけ教員養成課程にいたので、将来のことには悩まずに済んだ。

学部の方針に沿って授業を取り、半強制のボランティアに参加し、極めて事務的に教育実習に行った。

敷かれたレールの上を進んで、教員採用試験を受け、合格した。

 


そして、五年が経った。

 


変身願望に押し潰されそうな夜、

希死念慮を抱えて起きる朝。

泣きながら出勤した道を、

泣きながら退勤した日。

デスクの引き出しに隠した診断書、

バッグの奥底にしまい込んだ退職願。

頭が痛い、お腹が痛い、

けど一番は心が痛い。

生きるのに向いてないなんて言いたくない、

戦う意志は放棄しない。

 


今はまだ、教師として生きる。

誰とも仲良くしたくない

 

それっておかしいよね、って思うことがたくさんある職場だ。

 

今日もまた、背負いきれない重荷に耐えきれず、あの先生は休んだ。

今日もまた、初任者の先生が夜の22時過ぎまで学校に残っている。

そして、今日もまた、私は何も言えずに自分の仕事だけして帰路についた。

 

赴任して、一年が経とうとしている。

ちっとも、何も好きになれないまま、一年が終わろうとしている。

この学校の、先生も、生徒も、周囲を取り巻く環境も、何一つ好きになれないまま。

この学校で働く、自分のことすら好きじゃない。

 

一年が終わる。

四月に手に入れたものは、全て三月に失われる。

そういう営みを繰り返す職業だと、とうに知っている。

良い終わり方、なんて到底望めそうにもない。

それでも、より良い終わり方は、せめて、目指したいなと思う。

 

アンカーとして走り出す鈍色の教師のバトン握りしめつつ

帰り間際に電話がかかってきた。

全てが一気にどうでも良くなった。

家に帰って、缶チューハイを2本空けた勢いでこれを書いている。

 

 

顧問をしている部活の1年生・Aの保護者からだった。

曰く、「娘がすごく落ち込んで帰ってきて、『先生からの信頼を失った』って言うんですけど何があったんですか?」、と。

 

今日、確かにAを指導した。

 

Aが部内の友達Bに対し、「きもい」「あっち行って」とか言ったらしい。

まあ、中学生ならこのぐらいのこと日常茶飯事だ。

今回は言われた方のBから訴えがあったので、Aに話を聞くことにした。

まあ軽く「そんな言葉使ったらいけないよ〜」ぐらいで済む、そんなイージーな案件。

 

だったはずなのに。

「Bとなんかあったの?」と聞いた途端、黙り込むA。

「何かあったんじゃないの?先生、心配してるんだけど」と付け加えた私に、Aはやっと口を開いた。

「先生、その件はもう謝ってお互いに終わった話です」

「え?」

おかしいなと思いながら、Aを練習に戻し、訴えてきたBに話を聞く。

「Aはもう謝った、もう終わった話って言ってるんだけど、謝ってもらったの?」

「えっ?私、まだ謝ってもらってません!」

その時点で、ええ……まじかよぉ、と思いながら練習後、AとBを呼び止めて話をする。

Aはやっぱり、Bには謝っていなかった。

Aを理論的に問い詰めてもしょうがないので、感情に訴えかけるつもりで諭すように話した。

これは、あなたと先生との間の信頼関係に関わることだ。あなたのことを信頼しているから、なんでも正直に話してほしかった。だから今回のことは残念だなと思った。これから部活を続けていく上で、先生もちゃんと聞くから、なんでも思うことは話してほしい。

まあ、こんな感じだったかな。

 

Aは俯いたまま、うんともすんとも言わなかった。

これは納得してないな、と思いながも完全下校の時間がやってきていたので2人を帰した。

 

そして、冒頭のAの母親の電話である。

 

何かあったって言われても、正直に事の顛末を話すしかない。

私の説明を聞いてなお、Aの母親は謝りもしなかった。

いや、謝ってほしいわけじゃないけど。

でも普通、自分の娘が悪口言ったとか聞いたら「ウチの娘がすみません」とか形だけでも言わんか?

 

 

正面から向き合った、つもりだった。

言葉を尽くした、つもりだった。

でも、伝わらなかったなら仕方がない、のだろうか。

Aはそうやってこれから生きていくのだろうか。

私はこうやってこれから教師を続けていくのだろうか。

真面目にやればやるほど馬鹿を見る、ということなのだろうか。

 

思考の海に潜って潜って、今回の一件を何度も振り返る。

正解が、わからない。

 

一つ確かに言えるのは、「学校の先生になろうと思っている人は全力でやめた方がいいですよ」ってことだけだ。

こんな仕事、未来がないよ。

苦手

 

正直言って、キツい。

めちゃくちゃキツい。

 

新しい学校に赴任して、3週間目。

あれ、中学校ってこんなだったっけな?

困惑し、精神はすり減っていく一方で。

小学校の3年間で、牙を抜かれたとは思わないんだけど。

 

どうにも今の学校は苦手だ。

 

 

刺々しい職員室の雰囲気。

互いの陰口を叩き合う放課後。

飛び交う悪意と嘲笑。

失敗を許さぬ空気感。

 

苦手だ。

嫌いだ。

 

でも、絶対に染まりたくはない。

この職員室に馴染むのは、多分、今まで積み上げてきた全てへの裏切りだと思う。

 

私は、この職員室で、異質で在りたい。

人を傷つけるぐらいなら、傷つけられる方を選びたい。

陰口を叩くぐらいなら、一言も喋らない方がいい。

失敗しないことより、失敗を許すことのその優しさが世界を変えるのだと、そう信じたい。

優しくなければ生きている意味などないのだから。

 

今日が公示だったので。

 

教師になって、4年の年月が過ぎた。

私はわりと上司に恵まれてきた方だと思う。

前任校の校長先生、教頭先生、初任者指導の先生、学年主任。

そして、現任校で2年前、一緒に学年をもったS先生。

この5人に出会わなければ、とっくの昔に教師なんて辞めていてもおかしくはないのだ。

 

現任校にきて、3年。

中学校から、小学校への異動。

免許を持っているから、小中連携の人事交流だから、いつかは帰れるから。

そんな言葉で納得できるわけがなかった。

クラスも、校務も、私生活もぐちゃぐちゃだった。

放課後、自分の教室で立ち竦む私に、通りかかったS先生が声を掛けてくれたのを、今でも覚えている。

 

「4月に手に入れて、3月には手放す。クラスって案外儚いものよね。毎日顔つき合わせてると、忘れちゃうんだけどね」

 

S先生は、あの時、なんで私にそう言ってくれたんだろう。

普通の世間話の途中に、さらりと挟まれたその言葉が、それからずっと、私の指針になった。

 

この3月の中旬、内示が出た。

市内の中学校への転任が命じられた。

今年は転任希望は出していなかった。

今年のクラスは落ち着いていて、この子たちと次の学年へ上がりたいなと思っていた。

こればかりは教育公務員の宿命だから仕方がない。

 

この3年間を人は回り道だとか悪足掻きだとか無駄だとか呼ぶのかもしれない。

それでも、この悪戦苦闘の日々の中で拾い集めた、ちっちゃくて、きれいな、ただの丸い石ころみたいな物を、多分私は後生大事に抱えて生きていく。

 

晴天の大安

 

 

母方の祖父が亡くなった。

88歳だった。

今日は大安。空には雲ひとつない。

こんな日に逝くなんて、晴れ男で豪傑な祖父らしい。

 

昔の人にしては背が高くてがっしりした体型をしている人だった。

九州の田舎から学問で身を立てた自負と誇りをもっている人だった。

明るく陽気でくだらない冗談ばかり言って、でも誰のことも傷つけなかった。

だから、みんな、祖父のことが好きだった。

 

じいちゃん。

 

その大きな背中が好きだった。

じいちゃんみたいな大人になりたかった。

じいちゃんの自慢の孫で在りたかった。

教師になった時、1番喜んでくれたじいちゃんに、立派な一線級の教師としての姿を見せたかった。

彼氏のひとりやふたり、ひ孫のひとりやふたり、見せれたら良かった。

 

ごめんね、じいちゃん。

 

人生は個人戦

精神を病むぐらい必死になろうと、適当に手を抜いて働こうと、どちらにせよ人生は途切れずに続いていく。

真剣に向き合って、恨まれることもある。

よかれと思ったことで、取り返しのつかない事態に追い込まれることもある。

優しさや誠実さのつもりが、上滑りしていただけだと気づく。

どんなに足掻いても、犯してきた過ちも味わってきた後悔もリセットされたりはしない。

昨日も今日も明日もずっと地続きで、地続きだからこそ何も変わらない。

絶望と共に眠る夜。希死念慮と共に目覚める朝。

大人になったのだから、一人でちゃんと立てなきゃいけない。

夢を語るのは子どものすることで、願望を口にするのは我儘だ。

人生は個人戦

生きることとは負け戦だ。