物心がついた時にはもうすでに、「自分以外の誰か」になりたかったし、「ここではないどこか」へ行きたかった。
小学校3年生の時、初めていじめにあった。
同じクラスの男子数人からだった。
一挙手一投足をあげつらわれて、笑われた。
死にたい、と毎日思った。
素の自分を晒け出すことの危険性を初めて認識したのが、多分あの時だった。
中学校では、「勉強ができる」というキャラを守るのに必死だった。
中1になって初めてのテストで学年1位を取った時、周囲の目がガラリと変わった。
みんなから一目置かれる存在になったのが、単純に嬉しかった。
「自分以外の誰か」 になれる気がして、「ここではないどこか」へ行ける気がして、地元で一番の進学校を受験し、合格した。
そうして入学した高校では、3年間をほぼ黙って過ごした。
いい意味でも悪い意味でも、他人に興味のない人間の集まりだった。
黙って本を読んでいようと、机に突っ伏して寝ていようと、誰も何も言わなかった。
それが希望でもあり、絶望でもあった。
ある日、現代文の授業中、50代なかばぐらいの男の先生がぽつりと言った。
「変わりたいって気持ちは、自殺と似てますからね。」
平易な言葉で本質をつく、そんな大人に初めて出会った。それだけで、この高校に入った意味があると感じた。
一命は取り留めたが、後遺症が残るだろうと言われた。
学校で行われる奨学金の説明会に滑り込んだ。
国立大学の授業料を賄える金額の奨学金を申し込むことにした。
その申込書類に判をつきながら、母がごめん、と言った。
謝られなくても、志望校を地元国立大学の教育学部に変更したのは自分の意志だったのに。
そうして入った大学では、授業よりもバイトに精を出して過ごした。
この世で一番価値のあるものはお金だと思い込んでいた。
教育学部の、とりわけ教員養成課程にいたので、将来のことには悩まずに済んだ。
学部の方針に沿って授業を取り、半強制のボランティアに参加し、極めて事務的に教育実習に行った。
敷かれたレールの上を進んで、教員採用試験を受け、合格した。
そして、五年が経った。
変身願望に押し潰されそうな夜、
希死念慮を抱えて起きる朝。
泣きながら出勤した道を、
泣きながら退勤した日。
デスクの引き出しに隠した診断書、
バッグの奥底にしまい込んだ退職願。
頭が痛い、お腹が痛い、
けど一番は心が痛い。
生きるのに向いてないなんて言いたくない、
戦う意志は放棄しない。
今はまだ、教師として生きる。