今はまだ、

教員5年目/Twitter(https://mobile.twitter.com/ikedamis0n0)

靴を買う

ーーウェルテル効果は、高校の倫政の授業で習ったんだったなあ。

 

日曜の朝、ベッドに沈んだまま、そんなことを考えていた。

 

前の日の晩からつきっぱなしのテレビの画面。速報のテロップ。飲みかけのまま、ぬるくなった缶チューハイ。誰かからのLINEの通知。

 

目の前に転がるぼんやりとした「生活」が、徐々に輪郭を取り戻す。

 

靴を買いに行こう、と思った。

再来週、運動会だから。新しい靴を買おう。今年は黄組だから、黄色の入ったスニーカーなんか買っちゃったりして。

先生、気合い入ってるね、なんて笑われるだろうか。笑われたっていいか。あの子たちと同じぐらい、思いっきり走れるスニーカーを買って、そして、あの子たちと同じように走ろう。

 

テレビは消した。

あともう少し、走らなきゃと思った。

 

あの頃の私にビンタされたくて、左の頬を差し出している

大学4回生の冬、国語教育専攻の仲間と研究室で夜遅くまで色んなことを語り合った。

教育について、国語について、恋について、人生について、命について。

私たちは世間知らずな学生だったけど、あの時間ほど誠実に言葉を尽くしたことは、それまでにもそれからにもない。

 

「教育者にとって、一番大切なものは何だと思う?」

 

それが、あの頃の私たちの定番の話題だった。

 

教員になって、現場に出て、3年経った。

今の私なら、その問いに、「マルチタスク処理能力」と答える。

怒濤のような、文字通り山ほどある仕事をかき分けてかき分けて進んでいく力強さ。

力の無い者が簡単に踏みにじられる、そんな様子ばかりを、ずっと見てきたから。

 

それでも。

大学4回生の私は、その問いに、「誠実な心」と答えた。

何もない私に出来ることは、真正面から向き合うことだけだと、その時から知っていた。

仲間のうちの一人は、「揺らぐ魂」と言った。

正しさも、美しさも、悲しさも、全てのものは揺らぎ、移ろう。だから、私は揺らいでいたい、と。

 

 

このところ、そんなことばかりを思い返している。

自信がない

何か月も、ブログもツイッターも触れない状態だった。
6月ぐらいからずっと死にそうな感じが続いている。
放課後は、口もきけないぐらいに毎日ぐったりとしていた。
声を出す体力もなかった。
死ぬほどだるい。
本当に死んじゃうんじゃないかと何度か思った。
8月に入ってからも、このだるさはあまりにもだるい。
明日から、2学期が始まる。
生きて、3月を迎えられるのだろうか。
自信がない。

しんどかった。

人生はそんなに甘くない。

 

学校が再開して、抗うつ剤が減薬になって、そして立て続けに失敗が重なった。

結局、念の為に渡されていた抗うつ剤を毎日せっせと飲んでいる。

 

子どものためなら、と思った。

見せしみじみた指導をする大嫌いな先生に、頭を下げた。

苦手な職員室にだって長く座っていた。

意味もない無駄話に付き合った。

子どものためだと思わなきゃ、やってられなかった。

 

このまま、ずっと磨り減って、そして、私はどこに行くんだろう。どこまで行けるんだろう。

行き着いた先で、私はどんな教師になってるんだろう。

 

 

 

 

元気です。

 

薬が効いている。

鬱症状は確実に改善されている。と思う。

普通の人は、こんなにも「死にたくならない」んだなあ。

 

失敗も、挫折も、諦念も、醜態も、誤算も、悔恨も、正常な人々は正常に受け止める。

そして、生きる糧にするらしい。

 

死にたくてたまらなかった昔の私。

「死にたい」って思わなくなった今の私。

 

こちとら十数年間死にたがりをやってたもんだから、ちょっと調子が狂ってる。

短歌もブログも、何を書いていいのか、すっかり分からなくなってしまった。

でも、そのうち多分、また何かしらを書こうと思ってます。

 

まあ、「死にたい」の対義語は「生きたい」ではなかったのだけれど。

のびる、延びる、伸びる、

 

臨時休業期間が延々と延びていく。

子どもたちに、何もしてやれない。自分は何やってんだろうっていう自嘲に、いちいち傷ついて。足掻けど足掻けど現状は好転しない。

例えるなら、どデカい真っ白な壁の前、立ち竦んでるみたいな気分だ。

壁に穴を開けるのか、それとも、壁を乗り越えるのか。

なんにせよ、今はまだ立ち竦んでる。

 

そんなこんなで、他者からの評価に必要以上に敏感になっている。

新体制でスタートして約半月だ。そろそろ見定めも終わる頃で、多方向からの値踏みの視線に吐き気がした。実際、吐いた。

 

若いから軽んじられるのか。技量がないから軽んじられるのか。

そりゃ教師には経験が必要だ。でも経験主義は権威主義と表裏一体じゃないか。

苦手なままの職員室で、言いたいことは何一つ言えないままだ。

 

頭の中の整理がつかない。

環境適応能力

 

環境適応能力が低いので、学生時代から四月は苦痛でたまらなかった。

今年は、異動にならなかった。今の勤務校でどうにか踏ん張って働いていく。

 

四月がやって来る。

新しい環境、新しい同僚、新しい生徒。

それに付随する様々な変化。

考えるだけで、今から吐き気がしている。

 

「〇〇です。よろしくお願いします」

 

たったその一言を発するのに、他の人の何倍もエネルギーがかかる。

 

擦り減っていく。

追い詰められていく。

取り残されていく。

 

それでも、明日からは四月だ。