初任で勤めた中学校の校長先生はめったに校長室にいない人だった。
県の教育研究会の偉い人だったので物理的に出張でいないことも多かったのだけれど、とにかく在校中も校長室に引っ込むことがなかった。職員室に居る教職員をつかまえては話し掛け、話しまくり、そのせいなのか、「3年の◯◯と◯◯が付き合っている」みたいな情報にもやけに詳しかった。
「ワシは寂しいんだ!ワシの相手をしろ!」と言って、締め切り間際のレポートを必死に書いている私の隣で一方的に話し続けていたこともあった。あれはちょっと迷惑だった。
「自習にするぐらいならワシに時間をくれ」と言って、校長自ら代教に入っていた。元々は数学が専門なのに、社会の授業の代教では、ある戦国武将の栄光と没落を1時間語り切ったらしい。校長先生が授業するというので見学しに行った教育実習生いわく、「授業と言うよりワンマンショーでした」とのことである。
やることが尽き果てたのか、3学期には渡り廊下のペンキ塗りに手を出した。せっせと渡り廊下を緑に塗っていく姿に、最初は「これ、コウチョーセンセーが塗ったの?ヘタじゃね?」なんて悪態を吐いていた別室登校の不良が、なぜか「俺の方が上手にできる!」と言い始め、終いには校長と不良が二人並んでペンキ塗りをするという奇妙な光景が出来上がっていた。
私にとって最初の上司は、愛すべき、忘れられない人だった。
今年、定年退職を迎えるその人は、すっぱり教育から身を引くのだという。
その情報を教えてくれた先輩教員が「勿体ないけど、そういう人だよな」と言った。
私もそう思った。
今日の昼休みの時間帯に、お疲れ様でした、お世話になりました、と電話を掛けた。
「おお!そうなんだよ、ついにワシも定年だよ。退職金が出たら家内を連れて旅行にでも行こうと思ってたのに、この状況だろ?いやーまいったよまったく。それで話は変わるんだけどさ、この間のことなんだけど、聞いてくれるか」
昼休みの1時間、きっちり与太話に付き合わされた。好きなだけ話しきったその人は最後に言った。
「お前、鬱になったんだってな?」
どこまでも情報に敏い人だ。
「そんな小さなことで悩むなってよく他人に言われるだろ?あれは間違いなんだ。悩め。悩んだ方がいい。谷より深く悩んで強くなる。何度も谷底まで落ちて這い上がる。お前はそういうタイプだ。いい教育者になれよ。間違ってもワシなんか目指すなよ」
言いたいことを言って、じゃあな、と電話が切れた。
チクショウ、と声が漏れた。
言われたことには、全部心当たりがあった。
私はアナタみたいになりたかった。
でも、アナタみたいには絶対になれないんだ。
そして、アナタを目指さなくても別にいいんだ。
その寂寥にも安堵にも似た悔しさを、ずっと噛み締めていた。